一階の南東側、工芸室。もう時間が時間だからあまり陽は入ってこない。教室の性格上、暖房が入ってなくて寒い。昼間は陽が入っていたはずだから少しはマシになっていてもいいと思うんだけど。玄関に近いのと、人がいなかったのとで冷気が勝ってしまったようだ。この寒さの中でよく絵なんか描けるなと思うけど、慣れだよ慣れと言われてしまった。置戸君だって冷え切った教室でノートとれるでしょ、と先輩。それもそうか。校内で一位二位を争う寒い場所の職員室前だって受験生に人気の勉強スポットだった。
工芸室に二人。
他にもいるはずの美術部員は出ていったきり帰ってこない。場所を移したのか、帰ったのか。
せっかくの卒業式なんだから、言ってくれればこっちが場所を移したのに。最後の思い出に、部室でわいわいしたかったろうに。
「あの人たちからしたら、十分ご褒美なんじゃないの」声に出ていたのか、そう返ってきた。「置戸君が、卒業式に部室に来たんだから」
「俺もてもてなんすか」
「そうじゃなくて」
二年間通ってもわからないって相当だよなあ、と先輩。
こんな日でも相変わらずスケッチブックに向かっている先輩は、こんなだから推薦で美術系の学部に行くのだと思っていたら進学先は推薦は推薦でも普通の学部だった。
「・・・・・・教育大って言うから岩見沢かなって思ってたんすけど」
「美術なんてどこ行ってもできるしょー・・・・・・美原が釧路公立って言うから。釧路で、釧路公立じゃないったら教育大しかないし」
美原、というのは先輩の数少ない友人だ。・・・・・・というか美原先輩の唯一の友達が湧別先輩らしい。中学の頃からの仲なのだという。先輩の憧れの先輩を知る数少ない人、らしい。
「そんな理由で大学決めたんすか・・・・・・」
「目標あるって方が凄いと思うけどなあ・・・・・・美原だって、単に地元から離れたかったかららしいし。道内で、国公立で、札幌以外で文系、てもう旭川か釧路かしかないし」
湧別先輩は一つ上の先輩だ。先輩は美術部、俺は文芸部だから直接の先輩ではない。じゃあ何故卒業式に二人きりになる仲なのかというとまあそこらへんのきっかけは若干闇に葬りたいのも含まれるのだけど、大雑把に言えば俺の幼なじみの好きな人が先輩だと判明してどんな人なのかと知ろうと思ってなんだかんだあって今に至るのであった。
過保護だ非常識だなんだとずっと言われ続けてきたけどそれは否定したい。俺の幼なじみは幼稚園小中学校時代の友達みんなで大事に育てた結果ちょっと世間知らずな感じに育ってしまったのだ。そんなやつが初めて好きになった人は普通気になるだろう。どんな人か気になるだろう。
・・・・・・その結果、俺の方が仲良くなってしまったのは計算外だったけれど。
確かに知れば知るほど魅力的な人ではあった。
「・・・・・・さすがにもう暗いか」
気づいたらもう日が沈みそうになっていた。
「・・・・・・電気、」
「いい。そんなに残る気ないし。帰ろう」
持っていた色鉛筆を置く。スケッチブックから今描いていた絵をびりびり破いて、これいる? と聞いてくる。
色鉛筆で描かれていたのは、いつもと同じ女の人だった。
湧別先輩の、憧れの先輩。
「・・・・・・あの人はまだ中学卒業してないのに、俺はもう高校卒業だ」
遠い目。
この人は、本当に存在しているのかどうかもわからない先輩を、ずっと追いかけ続けている。
中学一年の頃に、たった一ヶ月だけ一緒だった先輩。
先輩と美原先輩以外誰も覚えていないという先輩。
先輩が、今の先輩であるきっかけを作った先輩。
「で、いる?」
「・・・・・・もらいます。先輩の最後の作品でしょう」
それはよかった、と画用紙を巻いて、輪ゴムでとめる。
教室の中がどんどん暗くなる。熱源が消えて、どんどん部屋が冷えていく。
「置戸くんは、ちゃんと幸せになるんだよ」
「何言ってんすか、先輩」
それには答えず、ただにこ、と笑ってコートを着ながら色鉛筆を元の場所に戻しに行く。スケブは置いてっちゃえ、とスケッチブックも棚に戻した。
鞄を持って、鍵をつかんで。
「じゃあ、俺は鍵返してくっから」
「あ、はい」
先輩は工芸室をぐるりと見てから、ゆっくりと扉を閉め、鍵を締めて。
「お疲れ様でした」
工芸室は一階、職員室は二階だ。ここで別れることになる。
「お疲れ様でした、」
じゃあ、と教室のすぐ脇の階段で二階に上がろうとする先輩を呼び止めて。
「先輩、」
「なに」
先輩は踊り場で一度止まって。
「鍵代わりに返しますとかならそういうのいらないけど」
「先輩」
「なに」
「好きです」
これは予想外、という顔をして。
でもそれは一瞬で、すぐにいつもの顔に戻って。
置戸くんは幸せになるんだよ、とさっきの言葉を繰り返して、先輩は二階へと消えていった。