杜別中学校と聞いて、ぱっと僕たちの学校と結び付く人は少ないだろう。

 なんとなーくあー杜別町にある中学校なんだろうなあとか思うに違いない。

 地元民である僕でさえそうだったのだからきっとそうである。

 杜別中学校、その正体は数年前に開発された、「KWGT」というある程度クワガタムシと意思疎通させることができるシステムを日本で唯一……いや、おそらく世界で唯一導入し、クワガタムシバトルを必修科目に設定している学校である。……さすが、試されすぎた大地、北海道。

 てなわけで、僕は杜別中学校のことをろくに調べずに、中学校なんてどこに行ってもおないだろうととりあえず一番近かったからなんて理由で入学してしまったのだ。

 入学してみたら全寮制で距離なんて関係なかったのだけれど。

 

 

 

 うんまあ、でも。

 クワガタムシバトルを導入している学校がある可能性なんて誰も考えないと思うんだ。

 

 

「ねえ、明日から期末よね! たのしみだなあ……今回は二十位目指して頑張るんだから!」

 授業も終わったことだし、さっさと帰ろうと寮に向かっていると、後ろからいきなり話しかけられた。

 ホノツキホヅキ。この学校唯一の知り合いである。幼稚園が同じだった、ってだけだけど。

「そーですね」

「そーですねじゃないよ! そっちは脱! 最下位だよね! 頑張って、応援してるよ!」

「しなくていいよ、どうせ最下位だし……」

「もう、そうやってどうせとか言ってるから駄目なんだよ、私が教えてあげようか?」

「テスト前に最下位に教える余裕があるなんて……今回は一位とれちゃうね」

 もうっ、と少し怒りながらホヅキは女子寮のほうに向かってしまう。

 だってなあ、と呟く。練習したぐらいで最下位から抜け出せるなら、誰も苦労しないと思うんだ。

 階段を上がって自分の部屋に入る。ルームメイトはまだついてないか、練習してるかで不在だった。

 はあ、もうめんどくさいなあ。

 カバンを自分のベットに投げ捨て、自分の机のいすに座る。それから机の上の箱を開けて、耳にかけるタイプの補聴器のような形をした黒い機械、KWGTを取り出す。よこにあるスイッチを入れて耳にかけると、ずざざとノイズが混じるようになった。

 ぐ、といっきにくる疲労感。やっぱ無理だよなあ。

 机に突っ伏したまま、機械を外して箱に戻す。

「練習とかそういう次元じゃないんだってば……」

 

 テストの項目は実践と演習に分かれている。それを考慮して順位を出すのだ。

 実践は前回の結果から、実力ごと、五つのグループに分けられてのトーナメント戦。演習は学園が指定したコースをクワガタに進ませる、だったか。二回目だからまだ少々記憶は怪しい。

 受付にKWGTを提出、検査してもらって、試験用のクワガタを受け取って、いよいよ試験だ。

 一回戦の相手は、前回の下から二位だったやつだ。さすがに底辺同士、上位のグループみたいに熱くなったりはしない。

はあ、嫌だなあ。

「試合開始一分前です。KWGTを起動、セットしてください」

 かちりとつまみを動かして電源を入れ、耳にかける。

 相変わらず、ずざざと思考にノイズが混じり始める。

 なんだか体力もごりごり削られている気もする。

「始めっ」

「一年三組二十番、お願いしますっ」

「一年一組四十八番、お願い、します」

 そして、クワガタに命令を送ろうとした時。

 僕の意識はぷつりと途絶えた。

 

 

 

「……で、あんたまた最下位だったわけ?」

「ん……あれもう情報流れてるの?」

「いや、アンタがぶっ倒れたってこっちまで情報来たのよ。何やってんのよ情けない。寝不足? 貧血? ほんと何やったのよアンタ」

「……なんか、相性悪いみたいなんだよね」

「KWGTと?」

 不思議そうな顔をする。まあ、そうだ。そんな話聞いたことないだろうし、KWGTをもらう時に合うように調整してもらうのだ。

「うん。つけたら頭の中がまとまらなくなって体力めっちゃ削られる」

「あー……毒沼に入った感じ?」

「毒沼……ああ、一歩進むたびにけずられてく系統の……まあ、そんな感じ」

「でも別に、クワガタと相性が悪いわけじゃないのね」

 僕の手に止まったクワガタを見てホヅキが言う。

「あくまでKWGTと、だから」

 ホヅキがポケットから、ピンク色のKWGTを取り出し、右耳に着ける。

「こっちおいでー」

 クワガタを呼んだのか、僕の腕に止まっていたクワガタが飛び立つ。

 いや、ちょっとまってって。

 もどってこーい、と呟くと、クワガタは迷ったようにふらふらと飛んでから、僕の方に戻ってきた。

「うん、よしよし」

「……あれ」

 とホヅキ。視線を上げると、わけがわからない、という顔をしたホヅキがいた。

 うそ、だとかそんな、とか呟いて。

「理論上、いてもおかしくないってのは分かってたけど、実在してたのね」

 リロンジョウ……なんて?

「ねえ、」

 ホヅキがいきなり腕を掴んでくる。飛び立つクワガタ。ホヅキが近い。勢いで窓枠にぶつかる。痛い。

「アンタ、KWGTなしでクワガタを操れるの?」

 ……。ああ、そういえば、この前のテストで、~なしで、っての答えられなかったよなあ、何だっけ。

「あ、wihtoutか」

「うぃずあうとはどうでもいいのよ! KWGTよKWGTっ!」

 その声で何かと思ったのか、最初から覗かれていたのか。

 がら、と教室のドアがあく。

「初木ぃ、お前何やって、」

 走るわよ、とホヅキが呟いて。

 ぐい、と腕がひっぱられた。無駄に力が強い。こっちのことをなんも考えないで机の間を縫って教室から出ようとしてるから、机をよけきれなくて当たる。痛い。

 ざわざわしている廊下。女子にすごい勢いで引っ張られている男子というのが珍しいのか、珍しい以上のことを思われているのか。

てかあれ、こっちって。

「女子寮なんじゃ」

「そんなのどうでもいいわよ」

 どうでもいいわけ。

 男子寮ならまだしも、女子寮は男子禁制だったはずである。

 振り払おうにも無駄に握力が強いし、こんな走ってる状況で振り払ったら転びそうだ。

 そのまま女子寮に突入、女子寮の中を走る走る。周りの目を気にしている様子はない。

 一番端の部屋に僕をつっこみ、勢いよく閉め、鍵をかける。

「ここなら、邪魔ははいらないわね。落ち着いて話せるわ」

「どこが?」

 ぜえはあしつつまじめな顔で言うホヅキ。

 僕はと言うとケータイのバイブが止まらない。

 どうやらここは一人部屋らしい。本来、もう一人の分の机やベットがあるあたりによくわからない機材が並んでいる。

 なるほど、ここなら他の人の目を気にすることなく落ち着いて。

「……まあ、片付いてればの話だけど」

「何女子の部屋じろじろ見てんのよ最っ低」

 いやいや勝手につれてきて押しこんで何を言っているのだか。

 ふう、とホヅキは一息ついて。

「最近の子は小指の関節を代償にクワガタとの対話能力を手に入れた、とかって言われてるんだよね」

 はあ?

 僕の表情を見て苦笑いして、ホヅキは続ける。

「昔と比べると足の小指の関節が一つ減ったって話があるんだけど。だいたいそのあたりからね。クワガタに対応した頭になってきたって話」

 さらにはあ? である。

「いや、百歩譲って理解したとしても何故クワガタ……」

「いや、そんなのしらないよたまたまだもん。もしかしたら蜂とか蛾とかだったかも。それは嫌だね、ちょっと」

 て。

「クワガタに対応した頭? KWGTじゃなく? っていうか対応・・?」

「そう。KWGTじゃなくてクワガタ。そして、対応・・した・・んだよ」

 対応、って。

「KWGTのこと、あまり公表されてないからわからないと思うんだけど、KWGTってメガネみたいなものなんだよね」

「メガネ?」

 メガネって。

「別に、補聴器でもいいんだけどね。KWGTってもとからあるもののサポートをする機械なの」

 じゃあ対応、って言うのは。

「対応、というか下地……? 導入前準備みたいな……?」

「そうそうそんな感じ」

 ってことは、じゃあつまり。最近の子はクワガタに対応した頭になってきたってのは、つまり、クワガタとの対話能力を持っているということか……?

 ホヅキの顔を見ると、にやり、としている。

「そゆこと。KWGTじゃなくてクワガタでしょ」

 そして、そうしたら、多分。……いや、多分じゃない。こんなの自分が一番分かっている。

「僕は対応具合が人並み以上なのか」

「多分、そうね。KWGTと相性が悪い、っての、多分健聴者に補聴器つけたり、マサイ族に分厚いメガネかけさせるみたいな感じなんだと思うわ」

 何だ、それで、

 どおりで。

「そういえば、なんでホヅキはそんなことを知って……」

 はあ? と返される。呆れた、という顔で。

「……アンタのKWGT、見てみなさい。ロゴ入ってるでしょ」

 ポケットからKWGTを出す。左側面に、白く小麦か米かの稲穂と、三日月の絵。その下にEar Moonと書かれている。

 ……だから?

「……それでも気づかないの? 穂と月で、穂月でしょ」

 それが、なにか。

「何なの? アンタ同じ幼稚園よね? そうじゃなくても今同じクラスよね?」

 肩を掴まれて、ぐらぐらと揺さぶられる。

 だから痛いって、ホヅキ。

 ……あれ、ホヅキ?

「もしかしてホヅキのホヅキって穂に月だったりとか」

「そうよその通りよなんで知らないのよ同じ幼稚園で同じクラスなのに!」

 ばん、とそこらへんの机をたたいて。

「……つまりそういうことよ」

「え、ホヅキがこれつくったの?」

「違うわよ、んなわけ! 無いでしょ! 普通に私のお父さんよ、ただの親ばかよ、発明品に娘の名前つけるなんて、信じらんないし! てかEar Moonってダサいじゃないなんなの!」

「知るか」

 そういうわけで、そこそこ知識はあるのよ、とホヅキ。

 じゃあなんであの順位なんだか。

「まあいいわ、貸しなさい。KWGT無くてもいじれるし、主導権奪ったりとかもできるなら成績、十分のばせるじゃない」

「ホヅキ?」

「要は起動しても起動しなければいいのよね。んでもって先生の検査くぐりぬけられるようにすればいいのよね。いいわね、燃えるじゃない」

 ホヅキ……?

「あした、どうなってるか楽しみになさい」

 

 

「一年五組三十五番、よろしくお願いします」

「一年一組四十八番、よろしく、お願い、します」

 ついに、ここまで来てしまうとは。

 

 

 ホヅキが調整したKWGTは完璧だった。

 起動しても電源がはいるのみで、KWGTとしての機能を発揮しない。

 ぱっと検査しただけではわからないので先生方にもばれていない。

 そんなこんなで僕はついに決勝の舞台に立つことになってしまったのだ。

 だって、皆弱い。

 

 

 というかそもそも皆接続先が決まっているのに、僕は自由に変更できるのである。

 敵のクワガタまで動かすことができるのである。

 チートでは無い、多分。

 途中で自分のしか動かさない、ってやってみたけどそれでも余裕だったし。

 そして今回も、あっさり優勝してしまった。

 フェンスの外のホヅキに目をやる。

 信じられない、って顔をしている。ざまあみろ。

 

 

「何、やっちゃってんのよアンタ」

「何って、優勝?」

「いやいや、前回最下位よ? 優勝って」

「でも先生方にすごい褒められたよ。ホヅキのおかげ」

 うう、と唸るホヅキ。

 僕をこうしたのは確かにホヅキである。

 ああ、そういえあ、ホヅキが気づいていなかったっぽいことがあったっけ。

「ホヅキ」

「何よ」

「昆虫ってプログラムみたいなものだから。対話は無理。命令に上書きしかできない」

「は……? だから、何よ」

「それ、理解したらホヅキの成績も上がるんじゃないかなって。それだけ」

 ホヅキは、なんか会話しようとしているように見えたから。

 対話能力、なんて言ってるのもそのせいなのかな、と思ったから。

「知ってるわよ」

 わかったもの、と返される。

「それはそうと、アンタのKWGT、壊したらまた最下位に逆戻りだものね。次のテストは私もそこそこやれそうだし、壊してしまおうかしら。アンタに勝てる気がしないわ」

 やめろって。

 ホヅキの手が僕の左耳に伸びる。

 ……やめろって!