このまちには神様がいるのよ、私たちには神様の加護があるのよ、と幼いとき母が言っていた。

 

 

もともと、陸の孤島と化しがちな町だった。

このまちがしまぐににあるというだけでもともと若

干物の流れも悪く、内地の話についていけないのにそのうえほぼ全方向に山があるときた。唯一の外界とのつながりは細っこい道路のみで、その道路も大雨やなんかで塞がれがちだった。

だから正直、「それ」が始まったときは誰もそんな大変なことになっているだなんて思わなかったのだ。

またいつものなのだろう、とてきとうに考えていた。

 

 

自分が二十数年間暮らしてきたこのまちは、ちょっとした孤島だった。

ただでさえ本土と離れているというのに同じ島にある都市とも少し離れていて、周りを森に囲まれていた。地図以外でこの地を見ることは無く、孤島というか異世界というか異境というか。そんな感じに近いかもしれない。ライフラインはちゃんとしていたし、物流も、止まってしまいがちだったけどCDのフラゲができるときもあったし、本が数日遅れるのはこの島全体での話だろう。いろいろなものをつくっているまちであったので、とくに不便はなかったと記憶している。

巨大地震や台風とは縁遠く、雪も島の中では少ない方だったから下手したらわりと暮らしやすいほうに位置するのまちだったのではないか。

まあ、人口が少なく、小中高が実質一貫で、高校を卒業したら家業を継ぐような奴がほとんど、というのに耐えられる人間にとってはだろうけど。このまちに生まれたやつは生まれたときからこの世界で生きてきたわけだし、これが当然なのだけど、外の人間はどうやら違うらしい、ということぐらいは知っていた。実際、たまにものずきがやってきては姿を消していたし、同期のうち数人はこのまちを出ていった。

 

 

「かばな」

ふ、と周りが暗くなり、上から女の子の声が聞こえた。

「華花。午後の授業、そろそろ始まる」

座ったまま、上を向く。幼馴染の顔が逆さに映った。

「……ほづみ」

「授業。もうすぐ、なんだけど」

そう言ってはいるけれど、とりあえず言っているだけという感じで口調は強くない。私が午後の授業に出ないだなんて、もう八年近く前からのことなのだ。どうせ私が教室に戻らないことなんて、穂詰はとっくに知っている。

「穂詰はどうしたのー、今日午後はなんだっけ、数学だっけ。『一回転ぶと大変』なんじゃなかったっけ?」

「中学校の数学ぐらいなら教科書見ればちょちょい、ですよ」

ちょっとそういう気分というやつです、と穂詰。

私の後ろから横に場所を移して、そのまま腰を下ろした。

「私は華花ちゃんと違って優等生なのでちゃんと証言してくださいね」

遠くで聞きなれたチャイムの音。

午後の授業が始まった。

 

 

このまちにも、一応地図に載っている、この島にありがちな響きの名前があるのだけれど、その名前で呼ぶ人間は少なかったと記憶している。代わりの名はぱっと聞いて意味がわかる言葉ではなく、でもきっとこの島にありふれた法則でつけられた名ではあったのだろう。当てられた漢字はなく、みんな頭の中では片仮名か、平仮名で呼んでいた。

幼いころから、このまちには神様がいるのだ、私たちは神様の子なのだ、と。繰り返されて育っているような私たちだ。地図に載っていない、文字化されていない名前に違和感は無かった。テレビなんかに私たちのまちが出ないのも、この島を題材に書かれた観光雑誌にこのまちが載っていないのも、神様がいるのだから当然だった。神無月、神在月が適用されない神様がいるこのまちが、外の人に知られてはいけないのはあたりまえのことだった。

 

 

「三年前の今日、なんです」

何が、とは訊かない。生きている間、いろいろとあれから何年と数えなきゃならないことに遭遇してきたけれど、あの出来事があってからは、話題にするような大きな出来事といえばそれしかなかった。

「案外ふつう、だよねって話?」

「……それはわたしたちが『わたしたち』だからでしょう……そうじゃ、なくて」

言いづらそうに、ぱた、ぱた、とつま先で遊んで。

「なぜ、何もわからないのでしょう」

とん、と左右のローファーを合わせる。

「あれから三年、経ちます。三年、膨大な時間があったでしょう。確かに最初は大変でしたけど、なにも放射能が云々、だとかそんなものじゃなかったですし、『わたしたち』ですし。すぐになんとかなったでしょう。なら、外に目を向けても、いいじゃないですか。三年です。千日、ですよ」

おかしいじゃないですか、と優等生。

「なんとかなってるからでしょ」

思ったままのことを述べる。

「ぎりぎり、なんとかなってるからでしょ。ただでさえ過疎って人いないのに、余計なことに割ける人なんていないの」

でも、と穂詰。

「三年経っても外からの連絡はない。こっちは自分たちの生活で精いっぱい、でも生きてられる。必要ないの。へんに変化求めて破滅なんて、ばかみたい。確かにいつかは死ぬ、三年前より確かに短い命なことは確定だけど、だからってわざわざ寿命を縮めに行くなんて、ばかじゃないの、若いねえ、すごいねえ。優等生は考えること違うね?」

 

 

このまちが、試された、選ばれた、試されすぎたなどと例えられる島にあるからか、閉鎖的だからか、それとも先住民族の影響かは知らないが、私たちはきっと確実に神様に愛されていた。

他のまちの人なら異能だとか、超能力だとか、魔法だとか、そんな風に呼ぶのだろう。

そんなものを、このまちのひとは十二歳の誕生日を迎えるときに得るのだった。

ある一つのルールを除けば平等な力だった。安定するまでの一年間を待てば同系統の力の間に優劣は無く、同じような力を持っていれば同じような効果が期待できた。わかりやすさ、派手さには確かに差はあったけれど、このまちでそんなことで差別するのはすでに時代遅れだった。親たちがそんなのはばかばかしい、という空気なのである。きっと昔はそれなりに、なにかあったのだろうなあと勝手に察していた。真実は知らない。

ある一つのルール。そのせいですっかりこのまちからは名字の文化がなくなっていた。

だれでも、人殺し扱いはやめていただきたいものである。

 

 

防災サイレンの音で目が覚めた。

ついに、この日が。

サイレンに続く放送の声もろくに聞かずに、とりあえず人前に出られる程度の服を着て、外に出る。両親が私を止める声は聞こえなかった。

べつに、外とのつながりが道一本のみとはいえそこからしか外に出られないわけではないのだ。あまりおすすめできないってだけで。地図を思い出して、おそらく一番森が薄い()であろう南東側へ向かう。これ以上めんどくさいことなんてやってられるか。

 

 

三年前のあの日ほど神様に愛されていることを恨んだことは無かったように思う。

あの日、いや前兆はあったのだけれど、急にそとのまちからの干渉が止んだのであった。

電気、ガスの供給。郵便、テレビ、ラジオ、宅配便、日用品、娯楽用品、エトセトラエトセトラ。

何が起こったのか、誰も知ろうとしなかったのはきっと知るのが怖かったからだ。

幸い、肉やら魚やら野菜やら、なんでもとれるまちだった。

湧水の存在するまちだった。

オール電化なんかとは無縁のまちだった。

自分はといえば、出ていったからその後のことは知らない。

町を出ていって生きて帰ってきた人の話は聞いたことがなかったけれど、自分は死ぬ気がしなかった。

なにせ自分は神様の子なのだから。

 

 

「華花」

めんどうくさいことは。

「ねえ、華花」

こんな、最後の最後でめんどいことは。

「東泉華花」

いやなのだ。

フルネームで呼ばれて、腕をつかまれてしまってはもう逃げ道はなかった。

「なに、穂詰」

正直彼女を避けてみんなが行かないであろう方向へと歩いている最中だったのだ。わが友人ながら相手が面倒くさいのである。

「よく考えてみたら、私華花のこと全然知らない」

鬱陶しい、という顔をして見せても彼女は気にせずに。

「華花、何か隠してるでしょう」

「……穂詰は私がうっとーしがってるのわかんない?」

「わかります。でも私には関係ないです」

「そう。穂詰が知りたがってるのは私には関係ないし行っていい?」

「関係あります。私が知りたいことは人命にかかわりますから」

「そう。いそがしいからわたしはいくね」

「華花、」

「私ががもう手遅れだからみんな死ぬよって、言ったら?」

森の方へ、再び歩き出す。

「ほんとう、ですか」

「だから私はさいごに外を見るの」

「そうですか。いってらっしゃいと言いたいところですがあまり情報が増えていないので送り出すわけにはいきません」

「私は知らないことは知らんでいい主義なのー」

「私は知れるものは全部知りたい主義なもので」

「ひとりごとー」

「おお! はい、その調子です!」

「三丁目の西川さんが死んだからもう手遅れ」

歩みを速める。

「さんちょうめ……さいかわさん、西の三丁目、ですか。その方、どんなお仕事を?」

「治安維持。バリアの構築、情報操作」

「ふむ。なぜそれがこうなることに」

「避け続けてた外との接点が出来てしまった。ずっと、必要最小限にしてたのに、あのひとが死んだから、防御壁がなくなった。神様に愛されてないから、もう無理、死ぬしかない。たぶん、きっと、わからないけど」

穂詰の相槌がきづいたら消えていた。気付けば半歩後ろにあった存在感も消えていた。どこかから悲鳴が聞こえてきた。あれは誰だ、東海林かな。最後は殺してやるから安心して死ね、といつかの会議で西源さんが言っていた。

ごめんなさい。東橋穂詰は神様に愛されていないので、東泉華花はあなたを守ることは出来ない。

立ち入り禁止の看板を無視して、森の中へ。

さて、神様の愛はまちのものだったのか、それとも。

 

 

少女が青年と会ったのはきっと奇跡だった。

少女が青年を見たとき、案山子か何かかと思ったし、青年が少女を見たとき、いつの間に自分は死んでいたのだろうかと思った。

青年と少女は考える。自分たちのほかに生きているひとなんて存在するわけがない。いくらこの島が試されていると形容されるとはいえ。自分たち以外に神に愛された存在は不要だと。しかし、いままで自分たちが暮らしていたのは、住民の顔はすべて覚えていて当然なまちだった。知らない人間なんているはずがないのである。しかし、相手は動いている。考えているように見える。相手が吐く息の音も聞こえる。ということは、さて、つまり。

「幽霊・・・・・・」

「なわけ。神の子の俺が寿命まで死ぬわけがない」

しまった、と青年は思った。普通の人間は自分を神の子などと言わないのではないだろうか。しかし、想定とは違った反応が返ってくる。

「神に愛されている、ではなく?」

どういうことだ、と青年と少女は互いに目を合わせる。

「出身はどちらで?」

と少女。青年は自分のよく知る名を言いかけ、それが正式名称ではないことを思い出して、地図に載っている地名を返すも、彼女は前半のほうが気になったようだ。最初の二文字ほどしか発音しなかったにもかかわらず、五文字を完璧に音にする。

「ふむ。なるほどつまり、わたしたちはおこぼれをもらっていた、と」

何故そのような結論が出るのか。青年は不思議に思ったが、彼女が五文字を知っていたことに気づく。あの閉鎖されたまちの中だけで使われていた名前を何故か彼女は知っていた。彼女はもちろん、あのまちの子ではない。『おこぼれ』、そして『神に愛されている』。

「君のまちも同じ名前なの」

「そう、呼ぶ人が居なかったわけではないですね。少数派でしたけど、私はその少数派でしたから」

青年も結論にたどり着く。

自分のまちには神様がいた。自分は神様の子だったし、周りも神様に愛されていた。しかし彼女のまちにも神様という存在がどうやら存在するらしい。それは外の世界にありふれたものとは違うようで、彼女は神様に愛されてるようだった。自分たちの町の名を知る、少数派。おこぼれ、ということは程度が低いということで、彼女の町には神様に愛されていない人も存在したのではないだろうか。

「・・・・・・逃げたんだ」

「最後の砦が、死んでしまったので。私はたぶん死なないですけど、みんなは、ほとんどは神様に愛されてませんから」

なんとかここまでギリギリ生き延びてきたまちだったのだろう。一般人を抱えて、三年間。

「神様は、この世界に僕たちを残して、何をしたかったのだろうね」

「さあ。知らないことは知らんでいい主義なもので」

「そう。奇遇だね。俺も割と似たようなもんだ。というわけで真実から目をそらして絶賛逃亡中な訳なのだけれど、君もいっしょにどうだい?」

青年は少女の前に手を差し出す。

「名も知らない殿方とご一緒するのは少々怖いのですが」

それもそうか、と青年は三年ぶりに、自分の名を名乗る。

「たくみ」

少女は彼の言葉を繰り返した。「たくみ、なに」

なに、とは何だ、と青年は一瞬戸惑った。一体何に対する何だ、漢字かと思い、匠である事を伝えると名前はなんだと返された。名前は何もなにも、自分は名前が匠である。とここで、彼女がフルネームを求めていることに気がつく。成程、そういえば名前というものは二つで一つなのだった。故郷では知られたら人殺しと呼ばれていたかもしれない名字を思い出し、十数年ぶりに発音する。

「とがみ、たくみという。東に神様の神、そして匠だ」

たくみは名前だったのですか、と少女。

そしてぱちん、と両手を合わせ、私と似ていますね、と呟き微笑んだ。

 

「私はといずみかばな、といいます。東に泉、華花です」