a

 

 目を開けたら見覚えの無い空間にいた。

 真っ先に目に入ったのは白い天井。次に白い壁。

 何事かと体を起こす。床を見ると床もまた白かった。全方向を白に囲まれている。ベッドも白いし着せられている服も白いので、肌色が浮いて見えた。

 寝てた? 今日は? 今何時? 学校は? だいたい、ここは?

 違う、そうじゃない、そうじゃなくて。わたしは初乃ちゃんといっしょにいて、そして、急に車が。

「病院……? で、助かったってこと……?」

「違いますよ」

「へ?」

 なんか、どっかから声が。

 気付けば部屋の中に白いセーラー服を着た中学生ぐらいの女の子が入ってきていた。私のそばまで来てから、ぱちんと指を鳴らす。するとどこからかパイプいすが現れ、そこに座る。

「やっぱこのシステム変えた方がいいと思うんですよね。みんな勘違いするし。で、あなたの状況ですよね。死んでます。二〇三十二年八月二十四日日曜日、午後三時二十七分に確かに」

 やっぱり、私は死んだのか。そりゃあ、車に轢かれたら。

「だけどラッキーおめでとうございます。厳正なる抽選の結果、あなたは死神に選ばれました」

 ぱちん、と手を合わせて、目の前の女の子は首をやや左に傾けながら、そう言ってにこりと笑った。

「しにがみ」

「イエスオッケー死神、グリムリーパー、ゴットオブデス。この場合の死神は神道のモノを指します。ここは日本ですので」

 と言ってもわれわれがそれを勝手に解釈した結果なので、辞書に載っているあれこれとは違うのですけれど、と女の子は付け足した。

 ふう、と一息置いて。

「えっと、中高生ぐらいで死んだ、体が無事っぽいひとの中から抽選で選んでやってもらってるんですけど。もちろんただでやってもらおうとかは思ってないですよ。ちゃんとご褒美があります。ノルマをこなしたら生き返られますよ、っていう」

「ノルマ……」

「ええ。この仕組みとか諸々は突っ込まないでいただきたいブレスレットのような腕時計のようなブツをみなさんに渡してるんですけど。……今、黒いでしょう?」

 ブレスレットのような腕時計のような……ブツ(一部を除き金属製)を受け取る。真ん中に埋め込まれている宝石のようなモノは確かに黒い。

「人を殺すと色が変わります。えーと、二十四色色鉛筆とか、そんな感じに。ひとによって十二だったり三十六だったりするんですけど、最終的には赤くなって、赤くなったら任務完了、生き返ります」

 おそらく黒からじわじわ赤に近づいていくのではなく、青やら黄色やらを経由する、と言いたいのだろう。

「たぶん実戦に出て貰ったら早いと思うので……最初の一人は決まってるんです。こっちにどうぞ」

 女の子がパイプ椅子から立ち上がり、壁の方に向かう。それを追ってベッドから降りて、裸足で歩いた。久しぶりに地面に足をつけた気がするので、フラつかないかと一瞬心配したけど大丈夫だった。

 ドアの向こうは建物の中ではなく外だった。アスファルトの上を裸足で歩く。もしかしてこの子、靴を私に渡すのを忘れているのではないだろうか。それともベッドの下においてあったのを見逃したのだろうか。まあ、熱いわけではないので耐えられないこともないけれど。

 空は雲で覆われていて、ほんのりオレンジ色がかっている。舗装された道の外は草原で、遠くには山が見えた。ポツリポツリとたまに一階建ての小屋が建っている。

 ある小屋の前で女の子は振り返った。特にこれといった特徴の無い、他の小屋と同じような少し錆びた建物。す、と戸を手で撫でて。

「……この向こうに最初の一人がいます。すこし気が狂っているので気をつけて。……もうじき死ぬから躊躇はいりません、さくっとやっちゃってください。自然死を避けるのがわれわれの仕事なので」

 取っ手と窓枠を掴んで両手で戸をずらす。戸を引くではなく戸をずらす、と表現するのがただしい開け方だった。両手を使っても開けにくいのか、が、ががっ、と少しずつしか開かない。

「すみません、けっこうカツカツというかなんというか。予算があんまり回ってこないんですよね、この小屋」

そう呟く。

 少し開いた戸の向こうから、叫び声と、金属が擦れる音が聞こえていた。

 片足が入る隙間が空いたところで、そこに足を差し込んで両手と片足で戸に力を加える。

 最初に一度突っかかると、その後は今までの苦労が嘘だったかのようにスムーズに開いた。

「ふう。というわけで聞こえてますよね。あの声の主があなたの最初の一人です。私は中に入れないんですけど。……まあたぶん、きっと体が勝手に動くと思うので」

 どん、と膝裏を蹴られる。

「頑張ってください」

 バランスを崩して、引き戸のレールを跨いでしまう。

 振り返ると、無慈悲に、今までの苦労が嘘だったかのように、引き戸がすぱんと閉まったところだった。

 

 

 防寒のぼの字もないような造りだった。床は一応コンクリートで固めてあるもののフローリングなんかが張られているわけではない。断熱材が入っているとは思えない壁の際には草がたまに生えていた。小さい家屋だから小屋、ではなく質素な建物だから小屋、のほうの小屋。

 中は壁で簡易的に手前と奥の二つに分けられていた。叫び声は壁の向こうから聞こえてくる。

 右側にある、のれんの掛かった隙間をくぐり抜けると。

 そこにいたのは高校生ぐらいの男のひとだった。

 両手首にぐるぐると布をまかれ、そのうえに手錠を掛けられている。その手錠は少し高い位置にある窓枠に繋がれていた。どこの学校かは知らないけれど、学生服の夏服を着ている。目元も隠されていたので、どんな顔の人間なのかは分からなかった。

 砂を踏んだ音で私が近づいたことに気が付いたのか、顔をこっちに向ける。

 相変わらずなにかを叫んでいたけど聞き取れなかった。

 それが相手の発音が悪かったのか、自分の耳が悪かったのか、それともほかのなにかなのかはよくわからないけれど。

 右手で、左腕にはめたブレスレットのような以下略をぎゅっと握る。それは光になり、日本刀のような形になった。

 ひゅ、と振りかぶって。

 叫び声は聞こえなくなって、ブレスレット以下略にはまっている宝石のようなモノの色がわずかに明るくなっていた。

 

 

「いやあお見事です。立派なお仕事ぶりでしたよかったです。武器は日本刀なのですね、カッコイイですね。最近はなんの影響なのか、鎌やら馬鹿でかい包丁のお化けのようなやつやらが多かったりするんですけど。銃とかの方がはやく終わると思いません?」

 いつの間にか、自分は地べたに座り込んでいて、後ろにさっきの女の子が立っていた。

「チュートリアル終了ですお疲れ様でした。これからは掲示板に求人が出ますので好きなのを選んでくださいね。服とか色々は他の建物に用意したのでそちらにどうぞ。……ああそう、名乗っていませんでしたね。私、あまりにもサボるので案内人として一生ここにいろと言われてしまったので案内人をやらせて貰っています。イヌタデです」

 スカートをわずかに持ち上げて、太ももに書いてある(刻まれている?)文字をなぞる。

 犬蓼、でイヌタデ、と読むらしい。音と字面が合わないなあと思った。ついでに本人の顔面ともあまり合っていない。あんなに可愛い顔をしてらっしゃるのに。

「蓼食う虫も好き好き、のタデですよ。これからも、なにかありましたら」

 

 

 案内されたのは一階建ての建物が並ぶ、市営住宅の団地のようなところだった。

 さっきの小屋とは違い、ちゃんと断熱材が入っていそうな壁だったし、冷房はなかったけれど暖房はちゃんと用意されている。床にはフローリングが張られていた。

 風呂トイレ別、キッチン含め二部屋、収納完備。家具は備え付け。なるほどとてもよい空間である。お金という概念がないため家賃も光熱費もかからない。食料も支給されるし各種娯楽は共用で、至れり尽くせりな空間だった。自分が死んでいて、たぶん成仏もできてないっぽいこと以外。いや神道の道に入ったようなので、成仏という表現が正しいのかはよくわからないけれど。でも神社の中にお寺とかたまにあるよね、モーマンタイモーマンタイ。我々はクリスマスの直後に初詣をするような国の育ちなので。

「……じゃあとくに目的もなくやってるんだ?」

 お隣さんで仲良くなった楸さんがそう訊いてくる。

「私、部活とかやってたわけでもないですし。将来の夢があったわけでもないし……というか週五で働くとか正気の沙汰じゃないと思ってたからむしろ就職から逃げられる道があるなら喜んでって感じ、です。……しいていえば友達と喧嘩してそのまんまだなあって」

「……じゃあ、生き返りたいとは思わない?」

「かといってここにずっといるのもなあ、って感じ」

 仕事はあくまで掲示板から好きなのを選んでこなす、という形なので無視をし続ければたぶん、この世界に居続けることもできるのだろう。

「……ああ、でも長居すると逆に仕事が出来るんでしょうか」

「犬蓼のこと? あのひとは百年二百年サボってたからああなだけで、そんな十年二十年サボったぐらいじゃなんもならないよ」

 私のブレスレットの石が黒から緑になるまでの間、楸さんの宝石は黄色のままだった。

「……そういえば、お向かいさんの菫さん。この前オレンジ色になったって喜んでた後姿を見てないのですけれど、もう生き返ったんですかね」

「そうなんじゃないの」

 そう返す楸さんの声はこころなしか雑だった。

 

 

 それでもなぜ仕事をするのかというと、仕事をする度に感覚が戻っていくのが嬉しいからだった。

 初めてこの世界で食べたご飯は全然味がしなくて、そういうものなのか、と思っていたのだけれど、石が青くなったあたりでじわじわと味覚が戻ってきた。

 怪我をしても痛みがないのでそういうものなのだと思っていたら、緑になったあたりで戻ってきた。あのときは謎の感動を覚えた。痛みを感じることに喜びを感じるだなんて一生に一度あるかどうか、というか趣味が疑われかねない。

 じわじわと、記憶も戻ってきた。最初は忘れていたことすらすっかり忘れていたのだけれど。親のことも、学校のことも。小さい約束も、大きな約束も、そういえばしていたな、だなんて。今、現実世界ではどれくらい時が進んでしまったのかはわからないけれど。

 すこしずつ生に近づいてきている。いままで死体に毛が生えたようなモノだったのに。

 

 

「次で終わりですね、おめでとうございます」

 仕事を終えて、戻ってきたら家の前に犬蓼さんがいた。

「最後は贅沢してもらうことになってるんです。といっても食べ物とかベッドとか、そこらへんしか贅沢にできないんですけど。ご案内しますね」

 立ち上がって、くるりと回る。

「こちらですよ」

 

 

 テーブルの上には和洋中ありとあらゆる料理が用意されていた。

「あなたの好みが分からなかったのでてきとうに用意したんですけど。食べたいものがあったら言ってくださいね。作りますので」

 くるり、とテーブルを眺める。ありとあらゆる、と言ったものの高級料理が中心で庶民的なものはあまりない。

「あのえっと」

「はい」

「豚丼が食べたいです。牛丼の仲間みたいなやつじゃなくて、炭火焼きの。ちゃんとお肉が生姜焼き程度に厚くて、細かく切られていないものがいいです。ネギとかそういう余計なのが乗ってない、米とタレと炭火と豚肉だけの、ロースのやつが、食べたいです」

 基本的ににこにこしている犬蓼さんの顔面に注文が細けえな、と文字が浮かんだ気がした。

 ごめんなさい、でも私は牛丼の仲間みたいなやつが豚丼を名乗るのが許せないので。

 もちろん他の料理も食べましたとも、ええ。

 おふとんはとてもふかふかでした。二度寝三度寝n度寝を繰り返し、起きたら二日経っていました。とても幸せでした。

 

 

「お疲れ様です」

 石は真っ赤になっていた。

「よく頑張りましたね、おめでとうございます。手続きとかいろいろあるので、ちょっと目を塞がせてくださいね」

 頭の後ろでしゅ、と布を結ぶ音がする。

「ちょっと歩いてもらいます。こっちですよ」

 引っ張られて、「そこ段差あるので気をつけてくださいね」……足音からして、室内に入ったようだ。ざっ、ざっと……そう、最初の小屋のような。砂を踏む音がする。

「ちょっとまってくださいねー」

 腕を取られて。布を巻いて一つにまとめられる。

 そういえばこの匂い、どこかで嗅いだような。

 そう、たとえば最初の……最初の一人がいた部屋、とか。

 こんな感じの匂いだったような、気がする。

 がっ、がたがたとどこかから音が聞こえてきた。

 がっ、のあとにすぱんと勢いよく鳴るあの音は。どこかから、じゃない、間違いなく。

 

 

 

 b

 

 目を開けたら知らない天井が目に入った。

 いつの間に寝ていたのだろう。いやでも寝てた、のわりには眠気がない。いつもは目覚まし時計を三つ鳴らしてようやく朝を認識できるようになるぐらいだというのに。

 起きた、というよりはスイッチを入れられた、というか起動させられた、とかそんな感覚だった。

「あなたは」

 体を起こしてどういうことやら、なんて考えていると頭上から声が降ってきた。

 他に人間がいるとは思っていなかったので……というか久し振りに声を聞いた(気がする)ので、思わず体が跳ねる。

 声が聞こえた方に顔を向けると、中学生ぐらいの女の子がいた。

 全体的に色素が薄い。かわいらしい顔立ちだから許されるのであろう丈の短い、ワンピース型のセーラー服を着ていた。右太ももに犬蓼、の文字がある。刺青とかそういうやつなのだろうか。……知らないけど。ついでに読めないけど。

「ああ、驚かせてすみません。なんもそんな驚かなくても……いえ、私が悪いのですけれど。……あなたは二〇一六年六月三十日午後十一時五十八分に亡くなりました。死因は浴室で二種類の洗剤を混ぜてしまったが故の不慮の事故だと聞いております。……というか久し振りに聞いたんですけど。洗剤に混ぜるなキケンとか書いてません?」

 阿呆は注意書きなんて読まないんだよ。

 と返してもわかってもらえない気がした。実際やろうとしてた記憶があるような、ないような。だって洗剤は洗剤じゃんか。

「自分ならやりそうだ、という顔ですね。学校で習うと思うんですけど、こういうの……いえなんでも。で、そう、死んだあなたがなんでここにいるのかという話ですね」

 すう、と息を吸って。

「おめでとうございます。厳正なる抽選の結果、あなたは死神に選ばれました」

 

 

 ターゲットにされる人間は老若男女様々だったけれど、置かれている状況はだいたい同じだ。

 自殺する勇気が無く仕方なく生きている人間か、まわりに生かされているけど死にたがっている病人。それ以外もたまにいるけれど、だいたいはこの二つだ。自分が殺した人間がたまたまそうだったのかと五人目の隣人に尋ねたら俺も同じようなもん、と返された。

 

 

 だいたいは石が黄緑色になったあたりで思い残したことを思い出して、人殺しが加速する。黄緑になってから二日で卒業したやつもいた。

 自分もそうなるのだろうか、と思っていたけれど、思い出せた心残りは仕事で現世に降りたついでに済ませることが出来ることだった。むしろ生き返りたくないなあとか思うことの方が多い。だって就職とか死んでもしたくないし、やりなおすとしたら高二からになるんだろうけど嫌だぞ二十代で高二って。……それに。

 墓石に刻まれる自分の名前を見てしまった。

 もう骨になって、祖父のものと一緒に墓の下にいるのにどうやって生き返れってんだ。神様のやることなのだから、もしかしたら時空を歪めてなんとかするのかもしれないけど。だとしてもそれをやったら風が吹いたら桶屋が儲かる的なサムシングで大変なことになるんじゃないだろうか。そもそも俺が死ななかったとなったら、俺が殺してきた人たちは。

 

 

「お墓、みんな行かないんですよね」

 そう、犬蓼が言う。

「まあ、お墓に自分の名前が刻まれているところなんて見たくないでしょうし? 遠くて行けないとかもあるのかもしれませんけど。かといって実家にも、収容されているのであろう病院にも行かないんですよ。怖いんですかね。他のところに行っちゃいけないと思ってるんですかね……?」

 うーむ、と氷菓子を舐めながら。あなたは例外なんですよ、と言外に含めて。

「他には言わないですって。停滞すると困るんでしょう……? 慈善事業らしいですし、てきとうに消費してくださいよ」

 自分の考えに周りを巻き込もうなんて思ってない。死にたくなかったのに死んだ俺たちに救われる死にたい人間がいる、だなんて面白いじゃないか。いや俺はもうやらんけど。

「ああ、そういえば次に来るのが柊さんというかたなんですけれど」

 最後の一口ついでに棒を咥えながらくるり、とスカートを翻しながら回って。

「楸さんの娘さんかなにかですか?」

 親娘揃って短命だなんて可哀想に。そう言い残して犬蓼は小屋のほうに向かっていった。

 ……娘?

 

 

「お父さん、いたらしいんですけど私が産まれるまでに死んじゃって……? いろいろあって家じゃ禁句で。名前も顔も知らないんですよ」

 孕ませた上に洗剤を混ぜて中毒死、だなんてそりゃ縁も切られるわなあ。やることやった記憶はあるけどそんな報告聞いてない。そしてよく産んでくれたなありがとう。

「それは……酷いお父さんだね」

「よく知らないので酷いかどうかもわからないんですけど……ああ、そういえば楸さん、木偏に秋ですね。私は木偏に冬なのでおそろい」

「ン゙ッ……」

 うちの父さんは木偏に夏だよ。……って言うべきなんだろうか。ついでにばあちゃんは木偏に春だったよ。よかった完結して……よかった、なのかわからんけど。

 春夏秋冬揃ったけど次はどうするんだろ、なんて一瞬よぎったけど既に死んでるので続けようがねえ。よかったな冬まで辿り着けて。……そうじゃない。

 

 

「見たの、お墓だけだったんですか……?」

「一応彼女んち行ったけど引っ越してたから探すの面倒くさくて」

 そもそもいるって知らなかったから調べようとも思わねえよ。

「自分が父親だよって教えないんですか……? 彼女がこのまま仕事を繰り返しても死に近づくだけなのに。教えて、一緒に暮らすなりなんなりすればいいのに」

「ズルするのはひとりでじゅーぶんだろ。巻き込む気ねーし、どう生きようといつ死のうとあいつの勝手だろ」

「普通身内には死んで欲しくないって思うとおもうんですけど」

「今の俺たちは死んでないってだけで生きてるわけじゃないだろ。さっさと成仏してくれって思うよ。遺族としては」

「遺族ってそうやって使う言葉でしたっけ……? ああ、お仕事が終わりそうですね。今回でオレンジになりそうなので連れて行きますけど……いいんですか?」

「死ぬ間際に急に俺は父親ですって言われても困るだろ。あいつの世界に父親はいないし俺の世界に娘はいない。それでいいじゃんか。やり残したことも無いだろきっと」

 

 それから一週間して、隣の家に新人がきた。中学生か高校生か微妙なぐらいの歳の男子だった。

「依頼を一気に複数こなしたやつっていままでいたんですかね」

 ひとんちの玄関の段差に腰掛け、足を右にひねったり、左にひねったり。

「さあ。ここ二十年ぐらいは見てないけど……そんなに生き返りたいの」

 最近のわかもんは、なんて老害っぽいことを思いながら麦茶を差し出す。口に出さなければセーフって信じてる。

「当たり前でしょう楸さん! だって生き返られるんですよ」

 目をキラキラさせてそう言い放ち、麦茶を一気にあおって床にコップを勢いよく置く。床がへこみそうで怖いからやめて。借家じゃなくて良かったね。最近のわかもんは。

「……きみは人生、楽しいことしかなかったんだろうね」

「ええ、結構辛かったっすよ? 校則とか受験とかクソじゃないっすか」

「そういうとこだよ」

 

 

 なんて会話をした彼は一日で石の色を黒から黄緑に変えていた。

「……もし、彼が一気に赤まで持って行くことがあったとしたら、楸さんに任せてもいいですか」

 それは、新人の仕事なのでは? 犬蓼との会話で滅多に目線を合わせないけれど、さすがにどういうことだ、と犬蓼の方を見る。

「……ああ。べつに、誰でも良いのですよ。新人にやらせた方が都合が良い、ってだけで。身内を殺したりとか、したくないでしょう」

「そんな、」

そんな理由で。

「単純に、赤まで行かれると死神さまにとっちゃ都合が悪いんです。妙に活きの良い死体みたいなもんなので……邪魔なんですよ。システムの都合上、赤まで行った者の処分は仕方ないんです」

 神様も元は人の子なので仕方ないのですよ、と犬蓼。

「もう黄色とかの段階で保護すれば?」

「規則で無理なのですよ。オレンジ色以上、って言われてるので」

「俺もう色変えたくないんだけど」

「殆ど変わらないと思いますよ。最初の一人のときだってそうだったでしょう」

 ……そういえば。一人殺しただけで青から緑になってたやつも、来たときは黒に近かったような。

「赤まで行ったところで、死体以上人間以下の死に損ないにしかなれないのですよ。殺す度に生に近づくのは間違いないです。石の色は……ええと、現世と自分を繋ぐ鎖の長さを表しているというか。殺す度に一つずつ短くなって、最後のひとつが無くなったら、繋がりが無くなったってことになるでしょう?」

「それ、教えて大丈夫なの」

「死神さまと話し合ってあなたも巻き添えにすることにしました。あまり長期間理由も無く居座られても困るので理由付けです」

「抽選の条件、不慮の事故で死んだ若者ってだけじゃなくて現世に対する執着も項目に入れれば?」

「はは。誰でも普通は死ぬ瞬間、死にたくないって思うもんですよ。あなただって一応はそうだったのですから」

 

 

 二日後、俺は不死身の体を手に入れることになる。

 

 c

 

 私たちがしているのがいいことなのか悪いことなのか、私にはわからない。

 人殺しと言われてしまえば確かにその通りなのだけど。

 私たちが殺すのは死にたがっている人間だけだ。他の神様みたいにほかのひとの為に生かしたりはしない。うっかり震災を起こして大量の人を殺したりもしない。本人が苦しんでいるから以外の理由で殺したりなどしない。

 なんて優しいのだろうか。

 たぶん、もう少し歳がいった人間に話せば、若いうちは仕方ないだとかこれからもっと辛いだとかそれを乗り越えれば云々言うのだろうけれど、人間誰でも楽に死にたいに決まってる。だいたい、お前らが死なせないから苦しんでいるのであって。普通の手段だとなかなか死ねないように、他の神様が調整しているのであって。

 我々は慈善事業だ。

 死にたいときに死なせてあげて、何が悪い。

 

 

 だけど、それをやるのにも人手がいるのだ。

 でも死神さまは優しいので。

 他の神様が手違いで殺した人間しか使わない。

 ちゃんと抽選もして無作為に選んでるんですよ、偉いでしょう?

 

 きちんと、厳正なる抽選の結果、死神に選ばれるのです。