鶴居愛夏は自身の小学校時代を「とてもたくさん友達がいて楽しかった」と評価しているが、そう評価するのは鶴居愛夏だけで、クラスメイトや大人たちは誰ひとりそんな風には評価しないだろう。影では「愛夏ちゃんって友達いるの?」といわれていたぐらいである。

小学四年の時、そんな鶴居愛夏を心配した担任がカウンセラーと会わせたが、変わることはなかった。理由は簡単である。鶴居愛夏は心からそう思っていたのだ。

 

 

委員会活動は嫌いじゃない。

人に仕事を押し付けられるのも嫌いじゃない。

内申点とか、人からの評価とか、そんなんじゃなくて。

普通に、好き。

一人でやる作業も好き。

皆が嫌がる作業とか、ものすごく好き。

だいたい、そんなんじゃなきゃ、こんなことしないしね。

 

 

気付けば六時になっていた。

我ながらすごい集中力である。

そんな時間になっているのに気付かないなんて。いつもはとっくに家に帰っている時間だ。

今日の作業はさすがにここまでだ。あとは家に帰ってからにしよう。

「……そういやカーテンしめっぱだ……」

窓がわによって、カーテンに手をかける。外ではサッカー部が練習していた。

そのなかに見覚えがある顔を見つけた。昨日降ったばかりの雪の中、動きにくいだろうに、器用に同じ色の番号のついた服のようなもの(体育の時に使うけどあれなんなんだろう)を着た人からパスを受け取り、シュート。

なんだ、あいつ、うまいじゃないか。

最後にあいつがサッカーしてるの見たのいつだっけ。もう、しばらく見ていなかった気がする。あの頃は女の子とか男の子とか関係なく、家が近いからってだけで遊んでたからなあ……懐かしい懐かしい。

「帰ろう」

そうだ、もう帰ろう。

コートを着て手袋を履いて、鞄を背負う。

卓球部が練習している横を通って一階へ降りる。

意外にまだ靴が残っている下駄箱から、外靴を取り出して上靴を入れる。

なんか新鮮だ。

暗い中帰るのが、夢だったのだ。なんか明るい時に帰るよりも特別って感じで。

 

 

 

 

「愛夏―っ」

急に後ろから声をかけられた。知らない声。

「愛夏―っ、あれ、人違い?」

たっ、たっ、たっと後ろから誰かが近づいてくる。

「やっぱ愛夏だろー、お前ほんと変わんねーな」

誰かと思えば、さっきまで私が窓から見下ろしていた人だった。

「……新太(あらた)

やばい、声が変わっていて気付かなかった。何年まともに話していなかったのだろう。

よく見てみればもともと同じぐらいの背だったのに若干見上げなければいけなくなっていた。男子の成長って怖い。

「ってか愛夏さあ、何でもうちょっと待っててくれなかったんだよ」

「……は?」

「いやーだってさ、お前歩くの速いのにまだここら辺歩いてるとかおかしくね?」

何を言っているんだ、この人は。

「お前教室から見てたろ? あれから結構たったのにまだここっておかしいだろ」

「いや、だから何がどう」

「お前そんな作業中断して外見るような奴じゃないだろ、どうせ作業してたら六時になってんのに気付かなくて閉めっぱだったカーテン開けたっけ俺見つけてみてたとかそんなだろ、で、そのあと電気ついたりとかしなかったからそのままお前帰ったんだろ? でもそのまま普通に帰ってたらもうお前家についてるはずなんだ」

何、この子。

全部あってるし。

「……きも」

「ひでえな愛夏?」

とりあえずなんか知り合いと久しぶりに話したらなんかキモくなっていたので、歩くスピードを速めて逃げてしまいましょう。

「……新太」

「何だ?」

「この前の期末、どうだった」

新太が思い出させるなよ、という顔をする。少しの間、視線をずらすと、

「総合で二百点ぐらいで学年……九十位ぐらい」

お。

「よかった新太だ……いつも通りの新太だ……私が知ってるアホでバカな新太だ……」

「お前ひでえな」

とりあえずこの子は私が知っている新太なようだった。

「でもよくわかったね」

「愛夏のことだ、当たり前だろ」

「あたりまえじゃないと思うよ」

私なんて、声が変わってたぐらいで誰だか一瞬分からなかったんだから。

「……だってお前、」

かわってねーもん、と新太が呟いた。

 

 

鶴居愛夏と俺、置戸新太が出会ったのは幼稚園の年中さんのときである。俺は年少さんの時からいて、愛夏が年中の時に入ってきた。そこから何があったのか知らないが気付いたら仲良くなっていて(そもそも幼稚園児に仲良くなるきっかけなどあるのだろうか)、家が近所だったこともあってか幼稚園以外でもよく遊ぶようになった。

愛夏はそのときから少しおかしくて、周りの奴らよりも愛夏と長くいる者としてすごく心配であったのだけれども、愛夏は全然気にしていなかった。というか気にしていないあたりが愛夏のすこしおかしいところで。

周りの奴曰く俺もすこしおかしいらしくって。なら好都合だ。ずっと愛夏と一緒にいてやろうじゃないか。他の人にできないことなら、愛夏じゃないけど、大歓迎である。

 

 

次の日、また居残っていると、急に肩に謎の衝撃が伝わってきた。

「っ?」

顔を上げると、目の前には誰もいない。

ばっと後ろを向いても、誰もいない。

逆側を見ると、やっと見つけた。

「新太……?」

ちゃっす、を片手をあげる。

「お前寝てたぞ、大丈夫か?」

「うーん、大丈夫、じゃないかなあ」

「お前の大丈夫は大丈夫じゃねえよ」

新太はいつの間にか私のコートをとってきていて、ほらさっさと着ろ、と着やすい場所にもっていく。私が袖を通している間に机の上のプリントをざっとまとめて鞄にしまう。

「行くぞ」

ただでさえ自分のカバンと部活のカバンがあるはずなのに、私のカバンまで担いで教室を出て行ってしまう。

「あ、ちょっ……」

急いでチャックを閉めて電気を消し、教室のドアを両方閉める。

「新太ぁ……」

「やっぱお前歩くの速いじゃん」

「ちょっと走ったよう」

下駄箱の前でやっと合流して、靴を履き替えて外に出る。

もうほとんど靴は残っていない。

「ああ、今日は多分もう生徒会ぐらいしか残ってねえよ」

「へえ……今何時?」

「七時」

「は……?」

絶賛新記録更新中です。ここまで帰るのが遅くなるなんて。

お母さんに怒られてしまいそうです。昨日も怒られましたし。

「お前ほんと何やってたんだよ、こんな時間まで」

「修学旅行関連のものがいろいろとあるんだよ」

「は? お前何係だよ」

「しおり係だよ? 原稿依頼とかいろいろあるのさ」

む、と新太が眉をしかめる。

「新太?」

「うちのクラスのしおり係、普通に帰ってたぞ」

「うん、私の仕事だからね」

「あの子、本当にバカだよねえ、って言ってたぞ」

「う、うん?」

新太が足を止めたので、私も止まる。

少し、不満そうに私の顔を見て。

「まあ、いいか」

そう、呟いてまた歩き始める。話題が見つからないのか、視線をいろいろ動かしてるのはなんとなくわかるけど、しばらく口を開かない。

「お前、志望校どこ」

ようやく、無難な話題を見つけたのか口を開く。

「今んとこは幌北かな、うーん、上幌でもいいんだけど」

「幌北? あそこ規則厳しいらしいぞ」

「うん、でも上幌ってあんまりよさげな部活ないんだよね……。運動系はアーチェリー部とかあるんだけど文化系は吹部とか新聞部とか真面目っていうかつまんなそうなのばっかで」

「ん? 何部に入りたいんだ」

「文芸部」

「おま、そんなのマジメでつまんなそうな部活の極みだろ」

「失敬な」

「まあ、お前確かに文章書くの好きだったよな」

「新太は?」

「苫松」

「さすがあほの新太だね」

「ひっでえな」

そんなこんなで話していたらあっというまであった。

 

 

 

それからしばらく、何もなくって。

 

 

 

「ねーえ、鶴居さん、鶴居さんって置戸君と家近かったよね?」

「ん?」

廊下を歩いていたら、知らない子に声をかけられた。

リボンを緩めて第一ボタンを開けてるし、スカートも短くって、なんというかセリフの中の「あいうえお」が「ぁぃぅぇぉ」になりそうな感じの子である。分かりにくい。

「あ、急に話しかけてごめんね? 私五組の白川彩花なんだけど、今日置戸君学校休んだんだ? それでプリント預けられたんだけど、私よりも鶴居さんのほうが家近いんだよね。鶴居さんたち線路の向こうでしょ? 私線路の手前だからさあ」

「なるほど、プリント渡すのめんどくさいから私に押し付けよーってことですね」

「うん? そんなんじゃないんだけど、とりあえず私が行くより鶴居さんのほうがいいと思うんだよね、だいたい私が選ばれたのもうちが一番置戸君に近いからでさあ」

「わかりました、帰るときによっていきます」

面倒くさそうな声でいうけど面倒くさくはない。むしろ大歓迎である。頼まれごとなんて久しぶりだし。

なぜかというとあのあと新太にものすごくいろいろ言われたのだ。「お前は頼まれごとをしすぎだ、押し付けられてるんだって気付け」「お前いいように利用されてるんだよ」「というわけで今度から頼まれたら何も思ってなくても少しは文句言え」「毎回ってわけじゃない、本当に変わってもらって欲しそうにしてたらその時はちゃんと引き受けろ」とかエトセトラエトセトラ。

そうしたらなんということでしょう、見事に頼まれごとをされなくなったのである。

というわけで久しぶり。超久しぶり。頼まれごと大好きな鶴居愛夏である。

 

 

 

「鶴居です、新太君いますかー」

久しぶりに置戸家のインターホンを押す。待つことなくすぐにおばさんがでて、中に入れてくれた。

「ごめんねえ、新太ったらこんな時期に風邪ひいて」

「いえいえ、新太は相変わらずですね」

プリントの束を渡してすぐに帰ろうと思っていたのだけれど、どうやら私が久しぶりに来たのが嬉しかったのか、おばさんは私を返すつもりはないようだった。お菓子まで出されてしまったし。

「いやあ、ほんとあの子ったら馬鹿よねえ、急に幌北高校行くって勉強しだして」

「え?」

「幌北ったらここら辺で四番目ぐらいでしょう? ほんと何で急に」

「私ずっと苫松だと思ってました」

「そうなのよ、私もずっと苫松だと……あそこって下から二番目ぐらいでしょう? 上から四番目と下から二番目だなんて中納言と庶民ぐらいの差があるじゃない? 何があったのかしら」

「はあ……」

何で? 何をいまさら。おばさんのたとえはよく分からないけど、苫松と幌北といえば頭いい学校の代表とバカな学校の代表である。そんな簡単に志願変更できるようなレベルではない。いや、志願変更とかそういうのはまだなのだけれども。

私が言ったから? 私が幌北って言ったから? 

いや、まさか。そんなことあっちゃ困る。全国の受験生から殴られてもいいと思う。

てきとうにそこは切り上げて、帰ってきた。何それ凄い気になる。

 

 

 

 

まあ、気になったら突撃あるのみ、というわけで。

「新太、幌北受けんの?」

「ん? あー、よく知ってんな」

「あ、うん、昨日おばさんに聞いてね」

「あぁ……それがどうした」

「ねえ新太」

「何」

「この前の学力ABC、どうだった」

「二百十点、二百二十六点、二百十三点で二十三位、十位、十四位だったけど」

やばい。この子やばい。

「すごいね、Bとか私より良いじゃん」

「マジで? じゃあきっと幌北いけんなー」

すごい嬉しそうな顔である。もうこんな嬉しそうな顔なんて久しぶりに見た。いや、新太自体久しぶりに見たんだけど。

「ってかどうしたの新太、苫松行くんじゃなかったの」

「ああ、愛夏を一人で幌北に送れんと思って」

「は?」

「俺やれば天才なのになぜやらないといわれるからさあ」

「は?」

「ってことでやったらさあ、これがすごいんだ、テストの順位が上がる上がる」

「だとしてもランクすごい低いよね……? あほみたいに低いよね……?」

「でも入試ってランク重視と当日点重視と両方見るやつあるんだろ? きっといけるさ」

確かに、確かに新太昔からやればできる子だったけど。なんかよくドッヂボールとかサッカーとか野球とか大根抜きとかに誘われてたし。大縄跳びとかやらせたっけ縄まわすのすっごい上手だったし。

「うん、そうだね、頑張りやがるが良いよ」

「おお、応援さんきゅーな、愛夏! お前も頑張っとけよ」

「大丈夫だよ私はB落としただけでACはいけてたから」

 

 

 

 

そして。本当に怖いことに新太は本当にやれば天才系男子だったらしく。

 

 

 

 

 

「ちゃーす愛夏、同じクラスだなあ」

「なんでだよっ」

入学式が終わってすぐ、みんな近くの席の人と話したりしてる中、新太が話しかけてくる。

「何で新太が新入生代表なの?」

「そりゃなー、俺一番成績よかったらしいからなあ」

「ほんっと意味分かんない、ってか大丈夫なの? 新太やれば天才ってだけで普段は出来ないんじゃあ」

「まあ、そんときは」

とてもいい笑顔で。

「愛夏に教えてもらえばいいだろ」

……、……っ!

「俺ほんと愛夏心配でさあ、俺ら以外に友達いなかったじゃん、それ利用して変な友達とか出来そうでさあ、俺もあとひーちゃんもつーちゃんもしーちゃんも心配してたんだぜ」

「それで……?」

「ああ」

「じゃあなんで苫松とか言ってたの」

「お前小学校の時近いから苫松行くって言ってたろ」

なぜそんな昔の話を。小学校の時なんて普通は家の近くの学校ぐらいしか知らないわけだし。ってか。

「小学校の時から私と一緒の高校行く気だったの?」

「だってさあ、ひーちゃんもつーちゃんもしーちゃんも普通の人だから」

俺しかいねーじゃん、と新太は呟く。

「おーい、早く席につけ、ホームルーム始めるぞー」

先生が来た。皆が席に着く。

私たちの高校生活はこれからである。

 

めでたくないめでたくない。